朝井リョウ『正欲』を読んだ感想

小説

とにかくこの本に出会えて良かったと思えた。自分の視野の狭さを思い知らされ、若干不愉快な読了感だったけど脳みそは刷新された気がする。

だけど、この本の感想を友人知人に語るのはなんだか怖いとも思った。

「私が抱いた感想は、本当は目の前の人を傷つけているのでは?」

「考えの稚拙さを露呈してしまうだけでは?」

なんて考えてしまう。

日常生活でも、楽しかったはずの飲み会後とかに一人反省会を開いちゃうことはこれまでもよくあったけれど、それ以前に大衆の前で「正欲」のテーマに安易に触れられない。

自分がこれまで抱いてきた思考や発してきた言葉がほとんど間違っていたような気がして、つい自己嫌悪に陥ってしまう、そんな小説でした。

でもとんでもない小説だったのは確かなので、もやもやした思いはブログで綴ることにしました。

概要

「多様性の時代!」

声高らかにそういう主張がされるようになり、世間で言うところの性的マイノリティの人たちも一昔前に比べれば本当の自分を外に晒しやすくなった。

けれど、その「多様性」から無意識的に省かれている人たちがいる——

小説では、「水」に性的嗜好を抱く人、小児性愛者など、多様性に認められていない人たちにスポットが当てられている。

気味悪く思われることが分かっているから、誰ともつながれない。

理解されないことは当たり前だから、寧ろ「理解できる」と、分かるわけないクセに上から綺麗事を言ってくる奴の方が腹立たしい。

大多数側に生まれた人間には想像もできない苦悩を抱えて、彼らは生きている。

多様性とは、生きることとは、人との繋がりとは何か、考えさせられる物語です。

感想

ここからはもっと細かい内容に触れていきます。

※ネタバレが嫌な方はページを閉じて下さい!

すごく個人的な感想になりますが、はっとさせられた場面があるので紹介します。

小説には、大学生の諸橋大也が登場します。

彼はダンスサークル所属で、端正な顔立ちで女の子にモテモテです。ですが、彼は「水が間欠泉みたいに放出する様子」に性的欲求を抱き、他者とは距離を取って生きてきました。そして、マジョリティ側の自己満でしかない多様性や排他的な世間に、憤りを感じていました。

大也と同じ大学の同級生として、神戸八重子という女子も登場します。

彼女は過去のトラウマから男性恐怖症を抱えており、また容姿にも劣等感を感じています。学祭の実行委員になったことをきっかけに大也と初めて出会った際、「視線が怖くない」と他の男の人とは違うものを感じ、そこから恋愛感情を抱くようになります。

そして、とある出来事をきっかけに「彼はゲイだから孤独なのだろう」と思い込むようになり、理解者になりたいと積極的に大也に接近するようになります。

物語終盤で、お互いの怒りの感情が爆発し言い争う場面があり、その中で、八重子が「ずっとストーカーしてたのお前だろ」と大也に問い詰められるシーンが出てきます。

それまでに、八重子がちょっと重めの行動を繰り返していてストーカーも仄めかされていたので、私は大也本人にはっきり指摘されたとき、こう思いました。

「うわあやっぱりね。八重子、気持ち悪いな」

で、またしばらくして、八重子に対する嫌悪感は、ずっと問われ続けてきた大也のようなマイノリティに対するマジョリティ側の嫌悪と同じじゃないかと、雷に打たれたような気分に変容したのです。

小説を読んでいる最中は、「水に対して性的欲求を抱く」人たちの主観をずっと浴びているわけで、いつの間にか物語に入り込み、マイノリティ側が正だと思い込むようになっていたようです。

小説内の私の主観では大也がマジョリティ、八重子が性欲はマジョリティだけどその中で言えない秘密を抱えている孤立した一人で、知らず知らずのうちに八重子に対して排他的な思考を抱いていたのだと気づかされました。

小説を読んで、価値観がアップデートされた気になっていたけれど、この場面で本質は変わっていなかったことを突きつけられ、恥をかかされた気分でした。同時に、まんまと作者の罠にかかっちまったわと爽快感もありました。

小説を読んで抱く思いや気づきは人それぞれだと思います。

ぜひ一度手に取って読んでみて下さい。

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